。私は京都御所西で生まれ育ち、小学校から一番上まで御所近くの学校に通学でき恵まれていました。 少年時代から野球一筋、厳しくも楽しい充実した学生生活を送りました。社会人野球では、全日本・五大都市体育大会・秋田国体などに出場、国体でお世話になったお返しとして、高台自治会の要請で「二巡目国体」のバトミントン徳島県選手の民泊を引き受けました。昭和48年に縁あり両親とともに高台へ、そして40年になります。 昭和50年代、4号公園でソフトボールをする子供たちを見ていたら「おっちゃん、高台に子供会作って欲しいねん…」と。聞くと高台に子供会がないから、地区対抗のソフトボールやサッカーに出られないとのこと。子供たちの寂しい思いが堪らなく、校区体振・子ども会の担当者と相談し、五小育友会地域委員さんにも支援協力いただき、晴れて「高台子供会」が誕生しました。以後体振、ソフトボール、ママさんバレー、ペタンククラブなどができました。しばらくして「高台自治会」誕生と、皆さん若く溌剌とした行動的な時代でした。長中育友会や五小校区体振連合会など役員担当もその時でした。 私事になりますが、長岡京市よりレクレーション・スポーツ振興に貢献したと「平成25年度スポーツ功労賞」をいただきました。少し前には京都府より組織普及振興・協会の充実発展に貢献したとして「スポーツ功労賞」をいただきました(表彰対象の役職は、市レク協会会長・市ペタンク協会相談役・府ペタンク協会会長です)。 これらは全て、高台住民の皆々さまを始め奥・下海印寺、金が原の皆さんのご指導の賜物で、その代表として私が受賞したと思っています。ご協力ご支援心よりお礼申し上げ報告いたします。これからの高台は、役員さんに任さずに住民も一体となり協力して、高齢者も若い方も楽しく住める町を目指し、知恵を出し合っていきたいと思います。 |