お 隣 さ ん
9B  山本彰良 さん
     
                                                   
 
高台に移ってきたのは1973年、息子たちが小1、小2の夏休みでした。周囲は空き地が多く庭木など緑が少なく夏暑く冬寒い状態でした。

1970年ごろ、公団住宅の2Kが子供たちの成長とともに手狭になってきたので長岡の薬師堂の小さな連棟住宅に転居しました。通勤は阪急一本ですみJRの駅もあり、田園風景が残っていて、教育環境としてはよい所なのでここを選んだのです。ある日、妻が隣の老夫婦のお宅に遊びに行ったとき、我が家から息子たちが大声を上げて走り回る音が響いてきました。お隣に毎日ご迷惑をかけていた事に気づき、早く一戸建に移らねばと話し合いました。

そんなある日、いい竹の子は売ってないかと自転車に乗って探しながら奥海印寺付近までやって来ました。宅地の造成をしているなと思って見ていると、営業マンにつかまりその場から大津の営業所まで連れていかれ契約をしてしまいした。手付けを払っただけなのに家が建っていきます。住んでいる家の買い手もついていないのです。家が売れないと新しい家が買えない、それでも何とか、売るのと買うのと、住宅ローンの解約と新ローンを組むのと、登記の手続きをするのとを同時に済ませるという、曲芸のようなことをして、やっと今の家を手にすることができました。友人たちからは「無から有を生む男」と言われました。後になって竹の子を買いに来て家を買ったという笑い話をよくしたものです。