4Bの小倉佐助さんにお話をお伺いしました。
<いつ頃高台に> 京都市内に住んでいたのですが、売り出された阪急の土地を倍率10倍の抽選に当たって購入し、家を建てて、昭和56年に引越してきました。 <高台を選ばれたのは> 空気もよくていい所だったからです。私は昭和28年に免許をと放射線技師となり桂病院に勤務していましたが、西山病院に代わり近い所ということで高台を選びました。 <会長も経験されていますが> 平成元年高台第2代の会長となりました。自治会創成期で、会館もなく金ヶ原自治会会館を借りて会議をしていました。地区計画立案、道路標識設置、公園整備などいろいろな課題がありました。 <ご趣味は> 私の初代は祇園末吉町で小間物屋を営んでいて羽振りもよかったことから骨董に興味を持ち、古銭や発掘品を蒐集していました。この扁額は、明治24年に文人画家富岡鉄斎に揮毫してもらったもので、京都黒谷にあった別荘の名が書かれています。またこれは享保の大判で第16代後藤方乗が墨書しています。これは「皇朝十二銭」で、日本で最初の流通 貨幣の和同開珎から250年間にわたって発行された銭貨をまとめたものです。12枚揃っているのは珍しいと思います。その他整理中ですが、多くの古銭が残っています。 <博物館にも預けておられるとか> 近江大津宮遷都時に造られた崇福寺跡から発掘された軒丸瓦や壺類、京都の入口の羅城門を挟んで東寺と並んであった西寺跡から発掘された瓦、室町前期の画僧明兆(みんちょう、多くが重文)の観音像図などを、京都国立博物館を始めいろいろなところに預けてあります。長岡に歴史博物館ができれば寄付したいといっているのですがまだ実現していません。 |