お 隣 さ ん
     
                                                   
 
私たち夫婦は一男一女を授かり今年で結婚50年になります。長男は嵯峨に所帯を持ち、長女は私達が高台に引っ越す前に住んでいた桂の家を建て替えて住んでいます。
長女は丈夫な子供でしたが、長男は小児喘息でした。しかし家内の親の代からのお付合いのある能登半島の海沿いの家に、長期ご厄介になったお陰で症状は改善されました。私自身も夏の能登を幾度も訪れてお世話になった際に、能登外浦の家屋様式が気に入り、いつかはこのような家に住みたいと想うようになりました。

私の亡父は物集女の出身ですが、高台の住宅地購入をいったところ、金が原は乙訓の北海道だ、と不満でした。確かに引っ越した当座はバスの便も悪く、とんでもない田舎だと感じましたが、住めば都です。空気は美味いし、豊かな自然に恵まれて、バスの便も大幅に増えて年寄りには最高の居場所となりました。
我が家の佇まいはこの辺ではちょっと風変り、能登外浦の様式です。私の山岳部時代の友人が設計事務所をやっていることと、能登の知人の同級生が工務店を営んでることが重なって、思い通りに建てることができました。

私の趣味は登山ですが、高校時代から山岳部に入り、大学では「山岳部には入るな」 との亡父の指示に背き、入学式が終わったら部の扉を叩いていた親不孝者でした。それから数十年、お陰様で山では かすり傷一つ負わずに楽しみました。
アイガー北壁初登攀者ハインリッヒ・ハーラーの著書「セブンイヤーズ・イン・チベット」とは大違いですが、私も定年退職後に“セブン・サマーズ・イン・アルプス”の楽しみを家内に許して貰い、ガイドレスではなかったものの幾つかの頂上に立てました。
その内に変形性関節炎が進行して、山どころではなくなりましたが、敬愛するスキーインストラクター久慈直子さんの懇切かつ執拗な勧めで、人工関節置換手術に踏み切った結果、関節痛は雲散霧消して、今もスキーを楽しめる膝になり非常に有難いことと悦んでいます。
このように勝手気ままで、地域にはなんのお役にも立てない私共ですが、よろしくお願いいたします。
 

   2丁目      小笹 孝 さん