高台の皆様「ただいま、はじめまして」33年ぶりに帰って参りました。こちらに引っ越した当時は、周辺は空き地だらけだったのですが、スーパーなどもあり快適な所でした。今 家が建ち並んだものの、スーパーがなくなり、ちょっと不便と困惑しています。

オムロンの研究所から東京へ転勤を命じられた時、「高台のお友達と別れるのはいや!」と嫌がる子供達に「毎日のように東京ディズニーランドへ行ける」と諭して千葉県浦安市へ引っ越しました。息子が東京工業大学へ入学し博士課程に進み海外留学生を指導するチューターになると毎晩遅くなるので、浦安を離れ大学や自由が丘に近い世田谷区の奥沢に住居を移し、そこで便利な都市生活を20年間過ごしました。

オムロンを定年退職した後は、三井物産で特許関係の仕事をしながら、玉川地区の健康いちばん会の役員、歩行会、卓球クラブ、囲碁クラブ、男の料理クラブなどの活動を楽しんでおりました。妻は世田谷区の区民講師、消費者あんしんサポーター、ゲートキーパーとして小、中、高、大学などで出前講義を行ったり、世田谷区の行政審議会審議委員も務めました。
子供たちが結婚してそれぞれの家庭を持って十数年、これら活動を続けながら、夫婦二人だけの海外鉄道の旅をしました。

団体旅行でなく、自分達で、飛行機、国際列車、バス、地下鉄などのスケジュールを組みホテルなども予約して、各国の都市や名所を自由気ままに巡りました。全てが手作りなので、ハラハラドキドキでしたが、幸いトラブルに遭うこともなく、これまでに、アメリカ、ソビエト、ヨーロッパの主要都市は、ほぼ踏破しました。高台での生活に慣れ、少し落ち着いたら世界一周の旅をしたいと思っています。

3年前、兄を見送ってから老後の生活を真剣に考えるようになり、東京でできなかった「土いじりがいいね」と夫婦の意見が一致したので、高台の家を建て替え、昨年10月に帰ってきました。野菜や果樹づくりから初めましたが、夫婦とも水やり草取り虫捕り等、毎日奮闘しています。
高台の皆様、お気軽にお声をかけていただければ嬉しく思います。
 
お 隣 さ ん
6B    酒井 清 さん