お 隣 さ ん
     
   

       3丁目  山本さん  

 
   

私が高台に住むようになったのは昭和51年からで、今年で35年になります。引越しの日、荷物を運んできたトラックの運転手が、今のバス通りにシートを広げている間中、車が一台も通らなかったのを覚えています。夜になると竹薮からキッキッキキョキキョ(テッペンカケタカ)と啼くホトトギスの声が聞えてきました。ホトトギスは戦時中疎開していた山形の田舎の裏山で啼いていましたが、こんな都会でも聞けるとはと思ったことを覚えています。

当時阪急バスは金ケ原が終点で、いまの4号公園で方向転換して30分位の間隔で海印寺に向けて戻っていました。バスが金ケ原の終点で時間待ちをするうちに運転手と私の娘が顔見知りになり、娘がお金が足りなくて料金を払えないでいると「あんたここの子やろ、お母ちゃんにいうて払ろてもらい」と降ろしてくれました。融通の利いた古き良き時代でした。

また当時は今よりも寒かったように感じます。できたばかりの家で壁がまだ十分に乾いていなかったこともあって、敷居に溜った水が凍って戸が開かなくなることもしょっちゅうでした。壁の中で水道管が凍って水が出なくなることもありました。雪のためバスが不通になって、くるぶしが埋るほどの雪道を、長岡天神駅まで歩いたこともありました。

近くにお住いの磯部恒子さんが、8年前かもがわ出版社から随筆集「青葉梟の声が聞こえる家」を上梓されました。ここに住もうと決められたときの高台の様子、庭に飛んでいるホタルのこと、大きなムカデがたくさんいることなどが書かれています。私も同じ経験をしていて、まだまだ自然が残る高台にこれからも住み続けようと思っています。