お 隣 さ ん
     
   

       2丁目  田中さん  

 
   

私の出身は信州(信濃、長野県)である。この地の最も適切な紹介は、信州が生んだ江戸期の俳人、小林一茶の句「信濃では月と仏とおらが蕎麦」であろう。

この句の月は名勝姨捨の「田毎の月」をいっている。JR中央線姨捨駅近く山の斜面に拓ける多くの小さな田(棚田)の一つ一つに満月が映し出され、閑雅で幽玄な世界に万人は魅了される。
第2の仏は善光寺である。聖徳太子の時代、仏教をめぐる政争の中で難波の堀江に捨てられていた仏像を、本田善光が拾い上げ信州までお連れしてお祭りした。弥陀の浄土に憧れ一生に一度は参拝したいと、全国から善男善女が集まる。
第3の蕎麦は美味で口当たりのよい信州(更科)蕎麦である。この地では自分の事を「おら」と言い、“おらが蕎麦”は郷里の自慢と誇りを喧伝している。この様な気分を一語で的確に表したのは流石に一茶の名句たる所以であろう。

私が京都に来た昔、出身地を信州上田と答えると誰もが首を傾げた。ところが小諸の近くですと答えると合点して羨んだ。文学詩歌に憧れた時代で島崎藤村の「小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ……」の秀歌を誰もが口ずさみ、千曲川と浅間山を羨ましがった。星霜移って現在、小諸と言っても知る人は少なくなった。

今は戦国時代に上田城で智略謀略の限りを尽くして徳川の大軍を2度にわたって撃破し、大坂落城の折にも大奮闘した真田幸村の居城として有名である。上田駅前には六文銭の旗指物を靡かせる馬上豊かな幸村の像があり親しまれている。(田中茂利さんは、仁科記念賞を受賞された物理学者で大学名誉教授です)












                                                                         
 
     
田毎の月