お 隣 さ ん
     
                                                   
 
高台へは9年前に引っ越してきて、今は妻と2人で暮らしています。私は「乙訓文化遺産を守る会」に入っています。この会は「乙訓の文化遺産を守り、文化の民族的民主的発展に寄与する」という趣旨で46年前に設立されました。壽岳文章(じゅがくぶんしょう、英文学者・書誌学者)氏が初代会長で、次の会長は長岡京の存在を初めて明らかにした中山修一先生でした。年数回の見学会や講演会があり、誰でも入会できます。

私は13年前57歳で、クモ膜下出血に襲われましたが、阪大病院の先生と妻と子供に助けられて命は取り止めました。脳の言語を司る全ての部分を失っていて、医師に一生話せないと言われました。発病から3ヶ月間は記憶になく、医師に「奥さんの顔も分からないだろう」と言われましたが、今はお陰さまであの恐い妻の顔は充分分かるようになりました。

口から音が出たのは発病後5ヶ月たってからでした。「都出比呂志」の文字すら忘れていて、「あいうえお」から学習し、計算も「1+1」から習い、厳しい訓練の結果言葉も出始めました。最初は声の大きさの調節ができず、電車内に響きわたる大声でしゃべるので乗客が一斉に振り返りました。気にしないでどんどんしゃべるようにと妻にいわれ、今ではそんなこともなくなりました。

退院後は、高台在住の優れたヘルパー高橋美由紀さんと出会い、2年間私にぴったりの話し相手になっていただきました。障害をもった後、職場の研究室仲間、教え子、友達、近所の方など、多くの皆さんに助けられました。人は助け合って初めて生きていけると実感しています。
障害を持つ自分自身を受け入れ、精一杯生きていきたいと思います(都出さんは考古学者で大阪大学名誉教授です)。
 
12B              都出比呂志 さん